横浜市まちづくりセンターでは、空き家、空き部屋の総合相談窓口を開設し、空き家、空き部屋の問題でお困りの方々を対象に、建築、不動産、法律、税金などの専門家が一同に揃いトータルアドバイスをワンストップで行える体制を整備し、平成27年8月28日(金)に記者会見を行いました。
⇩記者会見の模様を動画でご覧になれます⇩
http://www.machisen.org/rikatsuyo/info/
横浜市まちづくりセンターでは、空き家、空き部屋の総合相談窓口を開設し、空き家、空き部屋の問題でお困りの方々を対象に、建築、不動産、法律、税金などの専門家が一同に揃いトータルアドバイスをワンストップで行える体制を整備し、平成27年8月28日(金)に記者会見を行いました。
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http://www.machisen.org/rikatsuyo/info/
まちセンでは、平成27年度横浜市消費者団体協働促進事業 消費者教育啓発講座(横浜市経済局所管)、『横浜市民の住まい・暮らしに役立つ講座』を開催致します。
この講座は横浜市内の各公会堂で全15回開催され、参加費は無料です。
詳しいご案内は、トップページ右側にあります専用ページをご参照下さい!
《第32回 神奈川県理学療法士学会 ランチョンセミナー》
開催日時:平成27年3月22日(日) 12:30〜13:20
開催場所:パシフィコ横浜 会議室301・302
春の暖かな陽気に恵まれた3月22日の日曜日、パシフィコ横浜で第32回 神奈川県理学療法士学会が開催されました。
理学療法士(Physical Therapist【PT】)は、東京パラリンピック(1964年)開催を契機に、日本でも本格的にリハビリテーションを行える専門職の養成が急務と考えられるようになり、東京パラリンピックの翌年、1965年より専門職としての認定が始まりました。
具体的に理学療法士は、怪我や病気などで身体に障害のある人や障害の発生が予測される人に対して、基本動作能力(座る・立つ・歩くなど)の回復や維持、および障害の悪化の予防を目的に、運動療法や物理療法等を用いて、自立した日常生活が送れるようサポートする専門職で、その専門性の性格上、理学療法士の多くは病院に勤務しています。
横浜市まちづくりセンターは、横浜市住環境整備事業での建築専門員派遣業務や、みんなにやさしい横浜の住生活モデル事業で横浜市総合リハビリテーションセンターと連携している縁から、今回神奈川県理学療法士学会のランチョンセミナー(昼食を摂りながら聴講するセミナー)、『建築士からみた住宅改修』の講師依頼を受け、設計・監理部会の渡邉が講師となりました。
セミナーの要旨は、『人』を対象とする理学療法士と、『建物』を対象とする建築士が住宅改修の現場での連携が必要な局面で、起こりがちな意見の食い違いや、双方が見落としがちな『生活上の問題点』を具体的な例を挙げて説明しました。
ランチョンセミナーは200名前後の理学療法士の方々に聴講して頂きました。
今回聴講頂いた理学療法士の方々が、住宅改修を前提とした退院前家屋調査等の実務で、今回ご紹介した建築士の特性や住宅改修特有の問題点を踏まえ、相手の建築士と円滑に連携して頂ければ幸いに思います。
《第2回 まち歩き 大倉山周辺まち歩き・後半》
開催日時:平成26年2月22日(日) 13:00〜16:50
参加人数:20名
行程:東急東横線大倉山駅⇒大倉山エルム通り商店街散策⇒大倉山の案内処『おへそ』⇒大倉山梅林散策⇒横浜市大倉山記念館見学⇒まめどスペース結
一行は、『おへそ』訪問後、坂を登り大倉山公園の西端にある梅林へ向かいました。今にも雨が降りそうな肌寒い天気でしたが、既に梅の花が咲いていました。春はもう間近です。
さて、一行は今日のメイン街歩きスポット、『横浜市大倉山記念館』へ到着しました。
今回はなんと、横浜市建築士事務所協会 佐藤建二副理事長のご友人で、大倉精神文化研究所研究部長 平井 誠二先生に横浜市大倉山記念館のガイドをして頂きました。
大倉精神文化研究所(現在の横浜市大倉山記念館)は、明治・大正・昭和時代の実業家、大倉邦彦(1882〜1971)が、1932年(昭和7年)に建設、設立した建築物です。
設計者は長野宇平治で、旧北海道銀行や旧日本銀行広島支店など古典主義建築の第一人者として有名。建物は東西文化の融合を建築理念の中心に据え、クレタ・ミケーネ様式(プレ・ヘレニック様式)を採用。ギリシャ神殿風の西洋的外観と東洋的な木組み内装です。 建設は竹中工務店が担当し、竣工当時は真空式低圧蒸気暖房装置や水洗トイレ、給湯装置を完備した最新設備でした。総費用は約70万円、建物工事45万9356円18銭で、現在なら数十億円に相当します。(ウイキペディアより引用)
しかし太平洋戦争の前後で荒廃し、戦後1981年(昭和56年)まで殆ど手入れがされず、地元の子供達からは『幽霊屋敷』として恐れられました。
昭和56年に大倉山公園を含む広大な土地を横浜市へ売却し、同時に建築物本体は無償で譲渡されました。
現在窓や外壁は補修されていますが、これらは横浜市がこの建築物を市の指定文化財とするため全面改修を行い、昭和59年より一般公開されています。
今回は平井先生のご厚意で、通常非公開となっている屋上部分への見学をさせて頂きました。
屋上部分には、内部吹き抜け部分との間に丸い換気口があり、絶えず換気口から風が吹いていました。
横浜市大倉山記念館の見学を満喫した一行は山を下り、港北区役所の近くにある『まめど Space 結』へ集まり、熱いコーヒーで体を温め、解散となりました。
『まめど Space 結』も『おへそ』と同じく、NPO法人街カフェ大倉山ミエルが運営の協力をしており、現在は 週3日 月曜、火曜、水曜日にランチを提供しています。元々2世帯住宅だった空き家を、コミュニティーカフェとして改造しています。
普段は昼時に子連れのママや、地域の常連さん、港北区役所の職員がランチ時にやってくる他、サークルや団体向けに部屋を貸し出しています。
《第2回 まち歩き 大倉山周辺まち歩き・前半》
開催日時:平成26年2月22日(日) 13:00〜16:50
参加人数:20名
行程:東急東横線大倉山駅⇒大倉山エルム通り商店街散策⇒大倉山の案内処『おへそ』⇒大倉山梅林散策⇒横浜市大倉山記念館見学⇒まめどスペース結
まち歩きの趣旨は、普段何気なく通り過ぎている横浜の街(まち)を歩き、横浜の新たな一面を再発見することにあります。
今回、横浜市大倉山記念館周辺の町並みや歴史を散策するため、13:00に東急東横線大倉山駅へ集合しました。
大倉山という地名は、大昔からそういわれていた地名ではなく、『昭和初期に大倉邦彦という人が山の上に大倉精神文化研究所(現在の横浜市大倉山記念館)を建てた。』ことに因んで『大倉山』と命名されました。
さて、バブル絶頂期の1988年、大倉山の駅から西へ延びる商店街を対象に、商店街を近代化して永続的な発展を図る再開発プロジェクトが『大倉山エルム通り街づくり協定』に基づき、実施されました。
当時33歳で株式会社日本技術設計へ勤務されていた、横浜市建築士事務所協会 平山理事長は当時このプロジェクトに設計者として携わっておられ、現存する設計した建築物の説明をして頂きました。
この建築物は1階にカーテンショップ、2階に美容室が入る商業ビルです。街づくり協定では統一デザインとして、以下のような規制が掛りました。①外観に円形または半円形の柱を用いる。②正三角形のデザインをどこかへ入れる。③可能な限り切妻屋根する。
無論このような規制は、街の観光資源である大倉山記念館 との統一性を図るため、その様にしたのです。
一行は大倉山エルム通り商店街の西端にあるコミュニティスペース、『おへそ』へ向かいました。
コミュニティスペースとは図書館でもなく、公民館でもなく、商業施設でもない、非常に中間的な位置づけで、地域住民へ憩いの場を提供する施設です。
おへそとは、
『お・・・大倉山の』
『へ・・・人と縁を』
『そ・・・ソーシャル(社会的に)結ぶ』
という意味です。
つまり、『おへそ』は単に憩いの場を提供するだけでなく、大倉山の地域住民を社会的に結ぶことを目標にしています。
『おへそ』管理者の鈴木さん(NPO法人街カフェ大倉山ミエル 理事長)、大倉山在住の一級建築士で、子育てが一段落した2010年11月 商店会の空き店舗を、横浜建設業協会と大倉山商店街がヨコハマ商建連携事業として始めた養蜂事業のアンテナショップとして、コミュニティーカフェ 「街カフェ大倉山ミエル」を立ち上げ、その後、2014年1月 大倉山商店会振興組合の空きスペースを、地域の住民とヨコハマ街普請事業を使って、「大倉山おへそ」を開設しました。現在カフェは、後ほど紹介する「まめどスペース結」に移転しています。
『おへそ』のレンタルスペースは『英会話教室』や『フラワーアレンジメント教室』等に貸し出され、その利用料を運営スタッフへの謝金へ充当されています。
運営スタッフは30〜40歳代の現役ママさんの方々がシフトを組んで平日10:00〜16:00は常駐しているそうですが、これはコンビニエンスストアのシフトと同じで常にシフトを埋めるのが難しく、スタッフ間の予定調整に苦慮しているようです。
また問題点としては、昔からの老舗商店の世代交代が全て上手くは行かず、後継者がいない商店も多々あり、地域コミュニティーのい世代間断絶が危惧されることです。
このことは大倉山エルム通り商店街のみならず、全国の商店街が共有する問題点でしょう。